南欧州冬紀行 11月29日

 車掌の「朝御飯だよ」のノックで目が覚める。 窓の外を見るとまだ薄暗く、草原の中を走っている。 食堂車まで行き昨日のうちに車掌にもらっていた朝食のチケットを係りの人に渡すと、パンとスープが出てきた。 食べ終わり、他にも出てくるのかと待っていても何にも出てこない。 朝食のチケットには "Almoco Pequeno":(軽朝食)と書いてあったので本当に軽い朝食なのか? 係りの人に聞いてみたら本当にそれだけ…。 なおさら腹がへった。

 8:35 Madrid Chamartin 駅に時間通り到着。 時間通り到着するとは優秀である。 (昔はひどかったらしい。) そこの駅で Euro Pass 使用の手続き、Cordoba 行き新幹線(AVE)の指定券を発行。 新幹線の座席は Club(松)、Preferente(竹)、Turista(梅)と3クラスあった。 Club(松)は満席。Preferente(竹)は空いていたのでそれを発券してもらう。 問題なく事は進み、新幹線の出発駅である Madrid Puerta de Atocha 駅に移動。 Chamartin 駅との間は山手線の様な通勤電車が地下を通っており、結構便利。

 新幹線の出発までの時間が少々空いたので、「地球の…」に書いてあった両替手数料の安い銀行を捜す。 ところが、Puerta de Atocha 駅の周りは全く銀行が無く、土曜日ということもありどこのお店も Closed。 仕方が無いので駅に戻り翌日の Malaga から Barcelona への寝台券と Barcelona から Montpellier までの特急指定券はカードにて払う事とした。 Malaga から Barcelona への夜行も残念ながら Gran Clase は満室。 Lisbon - Madrid 間と同じクラスとなった。 シャワー付きの寝台車は今回のツアーではお預け。 ま、いいか。


  Madrid Puerta de Atocha 駅にて

 Sevillia 行き新幹線(AVE)は 10:00 出発。 Cordoba はその途中の駅で Madrid からは約1時間半かかるらしい。 早速乗り込み席に着く。 席はまるで飛行機のビジネスクラスの様。 走り始めたら結構日本の新幹線と同じくらい静か。 いやそれより静かかもしれない。 街を通り過ぎ、AVE 高速線に入った途端ぐんぐん速度を上げていった。 それでも全然静か。 ガイドを読む限りにおいて、平均速度は 260km/h…。 えぇっマジ? それでは最高速度が 300km/h に近いということかぁ? 計算してみよう。 Madrid から Cordoba まで距離は 343km。 Madrid 10:00 発、Cordoba 11:39 着。 343km / 1.6666h = 205.8 km/h うそばっか。 260km/h は最高速度じゃん。 でもこれは日本の新幹線よりも速いね。

 車内では食事のサービスが始まった。 をを、まるで飛行機の中の様なサービス。 おしぼり、ドリンク、食事、映画。 イヤホンも全席に配置されている。 J○東○本ではとても考えつかない様なサービスを展開。 では外の景色はどうかというと、季節が冬という事もあり、赤茶色した広陵な風景だった。 もしこれが6月だったら、一面緑で埋め尽くされているはずである。 Cordoba までの1時間半は実に快適であった。

 11:35 Cordoba に到着。 ここから2日間レンタカーの旅が始まる。 Cordoba 駅を降りてからコンコースに出ると Hertz レンタカーがあり、そこにてルノーをレンタル手続きした。 3月にUSAで運転するために国際免許証をとっていたので、それを使用。 支払いは American Express Card を利用した。 又手続きの際、スペインの道路地図及びコルドバの案内をもらう。 係員に案内され駅の外に出たらそこが駐車場の前で、直ぐ車をまわしてくれた。 もちろん左ハンドルなので普段慣れていない。 係員の説明にしばし集中。 ある程度詳細に説明してくれたので操作上の問題はないであろう。 マニュアルギアとクラッチ操作もある程度走っていれば慣れる筈。 (ここで運転に関する事に集中してしまった為に明日返却する Malaga 空港にてトラブルが起きるとは夢にも思っていない。)

 Cordoba の案内を片手に街を走る。 始めのうちは右手のマニュアルギアに慣れるまで結構苦労した。 又、大きい交差点はサークル状となっており、左折の場合はそこをぐるぐる270度廻って行かなくてはならない。 始めは何事も勝手がわからないので右往左往の状態。

 Cordobaでの最初の目的地は "Mezquita"(メスキータ)と呼ばれる回教徒の為の大きな寺院。 車を止める場所は Mezquita と川を挟んだ反対側でたくさん路上駐車をしているところにした。

 「地球の…」から Mezquita のイントロダクション

 このモスクは後ウマイヤ朝を開いたアブデラーマンI世が西暦785年に建設を始めた。 以後848年、961年、987年と3回にわたって拡張工事がなされ、ついには 25,000人もの信者が祈ることが出来るようになったという。 さらに16世紀からカルロス5世がカテドラルの大改造を行った。度重なる改築で世にも不思議な建造物が出来上がったわけだ。 本来モスクの中は明るいはずだがシュロの門以外の入口は全てふさがれ、そのため内部には闇が降りている。 ほの暗い中に赤と白に塗り分けられたアーチが続く様子はよく写真でも紹介されているが、実物ははるかに幻想的で魅惑的だ。 イスラム、ゴシック、ロマネスク、バロックと、さまざまな建築様式が入り交じったこのモスクの独特な雰囲気を味わってほしい。

 また、噴水と木陰が涼しげなオレンジ色の中庭 Patio de los Naranjos で憩い、ミナレット Minaret の塔からはコルドバの街とその周辺の展望がすばらしいので登ってみよう。

 登っている時間は無いのだ! 寺院の中をぐるっと回って見るだけでも相当時間が掛かる様である。


 Mezquita、オレンジの中庭とMinaret

 元々「モスク」と言えばイスラムの言葉。 その昔(11世紀)イスラム教徒の侵入(?)でカリフ王国の首都になっていた Cordoba。 そこらを歩いている人の中にも中近東地域で見られるシーツを頭からかぶった様な服装をしている。 ユダヤ人も多いと聞く。 思えばここ Cordoba は不思議な所。 中東戦争で代表される様にユダヤ人とアラブ系人は水と油の様な関係と思っていた。 ここはそれぞれの宗教、文化、美術が入り交じっていて、とても奇妙である。

 では実際にその広い寺院の内部に入ってみよう。 まずその広さに驚いた。 さすが 25,000人収容。 でも中は暗くて装飾の色を判別するのは難しい。 言葉で言い表すのが難しいが、内部の基本的な構造として、普段信者がお祈りをする場所は壁伝いに並んでいる祈祷部屋、その部屋の前から寺院の中心にかけて大勢の信者がまとまってお祈りを捧げる為の広いスペース、という感じ。 祈祷部屋は日本でもよく教会に見られるキリストの十字架の絵が掲げられている部屋、マリア様の絵が掲げられている部屋等があった。 もちろん現在はキリスト教の寺院なのでそれは当たり前であるが、昔の名残で壁にイスラム教の教典がそのまま彫刻状に彫られて残っている。 祈祷部屋の前でふと下を見たら、人の名前が書いたタイル(大理石?)があった。 これ何?って寺院の関係者に聞くと、それはその人の墓だと言う。 ほー、この寺院の下には人が眠っているのか。 祈祷部屋の前にはいくつも墓が存在していた。

 時間もないので次の目的の所を目指す。 Mezquita の出口を出た途端オバチャンに捕まってしまった。 「何?」「手を見せて」「やだ」と言うとオバチャンは僕の手を掴み、もう片方の手で細い草を持って「あなたに幸せが訪れるように…」とかつぶやいている。 「何やってんだよ、時間が無いんだよ、早くしてよ」と言うと、オバチャンは右手の手のひらを僕の方に差し出して、「お金」と一言。 僕の為に祈ってくれた代金の請求である。 そそくさ逃げる。

 次に行ったのが、"Alcazar"(アルカサール)と呼ばれる所。 Mezquita の南西に位置する城塞で、1328年、アルフォンソ11世が建てられたそうな。 中に入ると迷路のような細い道と階段があり、ある程度進んだところでパッと視界が開けた。 そこにはアラブ様式の庭があった。


 Alcazar、アラブ様式の庭園

 あれ、これしかないのか。 ここは庭園がメインみたい。

 車へ戻り、一路 Granada を目指す。 先程駅でもらった地図を広げる。 Cordoba から Granada までは高速道路ではなく、一般国道にて向かう事になる。 高速道路も無くはないが、遠回りになる様子。

 一般国道とは言え、そこはヨーロッパの道であり最高速度は 100km/h。 時々カーブがあると事前に 80km/h 制限や 60km/h 制限の標識があるのでカーブの度合いが人目でわかる。 非常に合理的。 このあたりも交通の先進国を感じる。 (そう、日本は交通後進国である。) Cordoba の街を過ぎると先程新幹線から見たような広陵な景色が展開。 不思議なことに木が殆ど無く、地平線まで赤茶色した草原が続いている。 「るるぶスペイン編」に紹介されていたが、Cordoba と Granada の間は6月になると一面に向日葵が咲いている所に出くわすとの事。 今度来る時には6月頃にしたい。

 途中、自分の目にまぶしく映る村、白い村を発見。 全ての家が真っ白。 (屋根は茶色。) 明日「白い村、Mijas」と言われる所に行く予定だが、ここでも発見したと言うことはアンダルシア地方の幾つかの村がこの様な白い村がありそうである。 本当にきれい。

 Cordoba から Granada まで約 100km。 車で約1時間半で走りきる予定だったが、1時間で Granada の街に入った。 平均時速 100km/h。 いい調子だった。 え、最高速度?。 まあまあ、そう突っ込まないで。


 今日の車での移動行程

 さて、Granada に入ったのはいいが、ホテルはどこだ? "Hotel Alhambla Place" って言う位だから Alhambla って書いた標識があればいいのだが…。 おっ、さすが観光地。 "Alhambla" って標識があり、御丁寧に城の絵のロゴマーク入りである。 しかし、そっちの方向へ進めどなかなか見つからない。 そのうち宮殿の入口の様な門にさしかかる。 「ここが宮殿かぁ。」 門を入ると緑が濃い林の中。 道は登りが続いている。 更に進むと宮殿に近い各ホテルの方向表示が。 でもそこには "Hotel Alhambla..." と書かれた標識が無い。 もっと更に進んだら、宮殿の専用駐車場の前に出て、それ以上は進むことが出来ない様子。 道を折り返して少し戻ったところで、「あれっ、ここだ!」 さっき走っていた道の途中、それも各ホテルの標識が立っている所に目的のホテルはあった。 "Hotel Alhambla Place" は確かに宮殿の敷地内にあり、城の形をした立派なリゾートホテルだった。

 車をホテルの前に駐車し、荷物を持ってフロントへ。 予約は27日の夜に Madrid にて電話でしていたので問題なくチェックインの手続きは進んだ。 案内されたシングルルームは思っていたより狭いが(6畳位)、普段出張で泊まっていたダブル、若しくはツインではないので贅沢は言えない。 バス、トイレの部屋はちょっと幅広の畳を縦に2枚並べた様な広さ。 バスはしっかりバスタブ。 Madrid で泊まった部屋では簡易シャワー室だったので日本人にバスタブは嬉しい。

 ホテルでゆっくりしている暇は無く、荷物を部屋に置いて早速宮殿へ。 ホテルから宮殿までは歩いて5分。 宮殿入口にてチケットを購入後、宮殿の中へ。

 「地球の…」から、Granada と Alhambla についてのちょっとタメになる話。

 8世紀の始めに、ジブラルタル海峡を渡ったイスラム勢力は、破竹の勢いでイベリア半島を北進。 あわてるヨーロッパ世界を尻目に西イスラム帝国を興す。 10世紀になると、アル・アンダルスと呼ばれた同帝国は全盛期を迎え、首都コルドバは当時世界でもっとも進んだ文化と産業をもって繁栄した。

 しかし、11世紀に入ると、アル・アンダルスは小国に分裂、回教文化の中心地はセビーリャに移る。 一方巻き返しを図るキリスト教勢力は、レコンキスタ(国土再征服運動)を次第に推し進め、ついに13世紀に大詰めを迎える。 コルドバ (1236年)、セビーリャ (1248年) と次々と奪回。 そんななかで、グラナダは最後の回教国として 1238年独立。 迫るキリスト教勢力を向こうにまわして、狂い咲き?を始めた。

 アルハンブラ宮殿は、そんな時代を背景に生まれた、イスラム文化のいわばアダ花。 失せていく文化の悲しき美しさをもっている。 宮殿内部は、スペインにおけるムーア式建築の成熟の絶頂期に造営されたもので、すみずみまで鮮麗を極め気品も高いが、浅く弱々しく欠点もある。 いずれにせよほかに類をみない正統イスラム美術の代表作であり、グラナダ黄金時代の王の権力と繁栄を見せつけている。

 1479年キリスト教圏では、アラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イザベラの婚姻により、両国合併が成立。 強力なスペイン王国が誕生し、国力を増してイスラム勢力の駆逐に乗り出した。

 時代の流れには逆らえずついに 1492年グラナダは陥落、アルハンブラは無血開城された。 これをもってレコンキスタは完了。 最後の回教王となったボアブディルは、目に涙してアルハンブラを去ったといわれる。 時まさしくイザベラ女王の命で大西洋に乗り出したコロンブスが、アメリカ大陸に到達した年である。 そしてヨーロッパの国々では近代化が始まっていた。

 アルハンブラ宮殿の敷地内には主に下記の施設があり、それを全部見るのにはかなり早歩きしなければ閉館時間までに間に合わないので結構疲れそう。 (順不同)

La Alhambla (アルハンブラ宮殿(王宮)) Patio de los Leones (ライオンの中庭)
Placio de Carlos V (カルロス5世宮殿) Torre de la Vela (ベラの塔)
Alcazaba (アルカサバ) Puerta de las Granadas (グラナダスの門)
Torre de Bermajas (ベルメハスの塔) Torre de Comares (コマレスの塔)
Puerta de la Justicia (裁きの門) Jardin de Generalife (ヘネラリーフェ庭園)
Patio de la Acequia (アセキアの中庭) 野外劇場

 宮殿の施設になるのかどうかわからないが、Parador de San Francisco、Hotel America と呼ばれるホテルもある。 国営ホテルである Parador を予約したかったのだが、土曜日から日曜日にかけての宿泊でもあり、2日前の段階で予約は満杯だった。 まあ、Hotel Alhambla Place が結構気に入ったので良しとしよう。

 最初に行ったのが Placio de Carlos V (カルロス5世宮殿)。 ここは、1526年、絶頂期であったカルロス5世がペドロ・マルチューカに建てた王宮で、典型的なルネッサンス様式。 中央部はパティオと呼ばれる円形で吹き抜け状になっており、当時は闘牛や騎士の決闘が行われていたという。 その真ん中で20人位の団体さんを発見。 あっ、日本人の団体だ! さすがは日本人、カメラとビデオを片手に説明員の話を聞きながら一同頷いている。 僕の方は個人でこっちに来ているので、ある程度この宮殿に関する勉強をしておかないと全く感動も無いのだが、よく考えてみると、ああいうツアーで来れば特に勉強はしなくても説明員がちゃんと日本語で詳しく説明してくれるから、その点楽かもしれない。

 次は Alcazaba (アルカサバ)と Torre de la Vela (ベラの塔)。 Alcazaba 要塞は宮殿の一番古い部分で、石柱や土台が残っているだけの要塞跡。 1239年から建造が始まった。 その先の Torre de la Vela からは Granada 市街を一望出来、又反対側を見ると標高 3000m 級の Siera Nevada (ネバダ山脈)が雪化粧をしているのが見える。 丁度冬なのでスキーも出来るそうである。


Alcazaba にて


Alcazaba から見た Alhambla 宮殿


Alhambla 宮殿から見たサクラモンテの丘

 さて Alhambla 宮殿へ。 いろんな部屋がありそれぞれ名前が…。 順番に行くと最初に Sala del Mexuar (メスアールの間)に入る。 とてもきれいな部屋にも関わらず、ここは罪人に刑罰を下していた場所。 そのうち16世紀位になるとキリスト教の会議室になっていたという。 次は Sala de la Barca (船の間)と呼ばれる細長い部屋を通った後、Salon de Embajadores (大使の間)と呼ばれる宮殿の中で一番大きな部屋に入った。 Granada の公式行事にその部屋が使われていたという。 ガイドを見ると天井が凄いと書いてあり、よく見るとアラベスク模様で彫られた美術品。 その後、船の間の目の前にある Patio de los Arrayanes (アラヤネスの中庭)に出たが、これがまた綺麗でプールのような長方形をした池の周りには緑の天人花(アラヤネス)が植えられてある。 その隣にも庭があり、Patio de los Leones (ライオンの中庭)と呼ばれる庭。 12頭の石のライオンが中央の噴水を取り囲むように並んでいる。 昔ここはハーレムと呼ばれ、王様以外の男性は立入禁止、すなわち王様は好き者だったというわけ。 僕ら観光客はその中庭の中心には入れず周りの渡り廊下の様な所を通るのだが、壁にはアラブ文字が彫られているのでひと目でイスラム教の場所とわかる。 そう、イスラム教の王様はブルネイ国王を筆頭にどうも好き者が多い。 これをきっと伝統と言うのであろう。 またこの王様は嫉妬深いのか次に行った Sala de los Abencerrajes (アベンセラーヘスの間)では、ハーレムの女性に近づいた8人の男がそこで首をはねられ、8人の首がその八角形の天井に置かれていたという。 超オソロシー。

 Alhambla 宮殿を出て、Puerta de la Justicia (裁きの門)へ向かった。 ここは、迷路状に入り組んだ形であり人しか通れない。 このあたりは日本の城にある門と思想が似ている。 その門から坂道を下り、Puerta de las Granadas (グラナダスの門)へ。 とにかく凄くきつい坂道で、又その道のりが長く10分位歩いてもなかなかたどり着けない。 その途中車が通れる道に差し掛かった。 あれ、ここは今日車で通ってきた道じゃん。 そうか、Puerta de la Justicia は見たんだ。 今来た下り道を引き返す。登りはやっぱりきつい。

 次に Jardin de Generalife (ヘネラリーフェ庭園)に行ったが、閉園時間も迫ってきたので殆ど小走り。 Patio de la Acequia (アセキアの中庭)と野外劇場はその中にあり、至る所に噴水があってとても綺麗。 カルロス5世宮殿で見た日本人団体客も来た。 あちこちに猫もいる。 人なつっこい猫なのか、近づいていくとこっちに腹を出して仰向けに寝っころがってきた。 腹をスリスリさするとゴロゴロ嬉しそうな声を出している。 ここ Jardin de Generalife (ヘネラリーフェ庭園)は14世紀に建てられた庭園で「全てを見尽くす者の住む庭園」と呼ばれ、とても贅沢に造られている。

 係員から「もう閉園時間なので、出て下さいね」と言われ、Alhambla 宮殿を出てホテルに帰る。 もう殆ど走り回ってきたので超疲れた。 ベッドに横たわりTVをつけたら、おっ、闘牛やってるじゃねーか。 この Corrida de Toros (闘牛の事)、本当は生で見れば迫力満点なのだが、今回の旅では時間の関係で見るのを諦めていたところだったのでラッキー。 まず元気な牛が会場に入ってくる。 新米の闘牛士がまず白いムレタを使って牛をもてあそぶ。 そのうち馬に乗った Picador が登場し、牛が Picador に体当たりしたと思ったら Picador はびくともせず、持っている槍で牛の背中に何度か突き刺して牛を弱らす。 会場からはヒューヒューとブーイング。 冷たいブーイングを受けて Picador が去ると今度は Banderillero と呼ばれる2本の槍を持った人が登場し、牛にそれを突き刺した後そそくさ逃げる。 それも2回やるので合計4本の槍が牛に刺さっている。 もう牛の背中は血だらけ。 その後トランペットのファンファーレに乗って派手な衣装を着た Matador の登場だ。 赤いムレタを颯爽と牛に向かって指しだし牛が走ってきたところをさらっとよけて格好を付ける。 そうすると観客は歓声と共に拍手。 牛をもてあそんでいる様だ。 しばらくそれを繰り返した後、持っていた剣を頭の上にかざして剣先を牛に向けて格好を付けた。 牛が向かってきたら、その剣を牛の背中にぐさっと一刺し。 おおっという歓声と拍手。 牛は剣を刺されてもまだ暴れまくっている。 新米の闘牛士が一斉に出てきて牛を追いつめる。 Matador は短い剣を持ち、牛の息の根を止めるために首の急所辺りにちょこっと刺す。 そうすると牛は前につんのめるようにして倒れ、死んでしまう。 Matador は拍手喝采を浴び、花束が観客から投げ入れられ、そして牛の耳を観衆に見せ会場を一回り。 そして退場。 死んだ牛に拍手があり、引きずられて退場していった。 いやぁ、残酷。 これを何回も繰り返しやってるのである。 途中牛の角にやられている Matador がいたが、牛の元気もばらつきがあるので、あまりに元気な牛に当たった Matador も可哀想である。 なかなかしぶとい牛や、全然元気が無い牛もいて、闘牛をやるのに丁度良い牛ってのも難しい様である。 とにかく疲れていたのでそのまま横になったまま寝てしまった。

 腹が減って起きたら夜の7時半。 そーいえば新幹線での食事から全く食べていない。 車で夜の街にくりだす。 街の中心街に行き、地下駐車場に車を置いてアンダルシア地方の料理が出るレストランへ。 頼んだ料理は「ニンニクと卵のスープ」と牛ステーキ料理。 ニンニクのスープは絶品。 スライスされたニンニクがたっぷり入っている。 ステーキはリスボンで食べたステーキと同じで、たっぷりのポテトフライとステーキのセット。 飲み物は定番のコーラ。 げっぷが臭そう。 食事のあとはコーヒーを頼み、落ち着いたところで店を出る。

 さて、せっかく Granada に来ているのだから Tablao (タブラオと言ってフラメンコをやっている所)に行きたくなった。 しかし、「るるぶ」にはその Tablao の場所は方向だけ載っていて地図の外だった。 取りあえずその方向に向かいそれらしい所を捜したが見つからず、道に迷ってしまった。 道端におじさんが立っていたので、「Jardins Neptuno (フラメンコをやっている店の名前)ってどこですか?」と聞いた処、知っている様で、あっち行ってこっち行ってこう行くって説明してくれた。 向こうはスペイン語なので少々理解に苦しむ。 おじさんも僕の語学力に疑問を抱いたのか、連れてって上げるよとおじさんが自分の車で先導してくれた。 なんて親切な! おじさんはさっき居た場所で人を待っていたのに迷惑をかけてしまった。 感謝感謝。

 親切なおじさんのお陰で Jardin Neptuno に到着。 脇に路駐をし、その駐車の管理をしているおじさんにお金を払って早速 Tablao へ。 店の近くには若い連中が大群で屯している。 店の中からはロックバンドの音が外に漏れて聞こえていた。 どうやらライブハウスの様である。 本当にここでフラメンコをやっているのか? やっていないのだったらまあ別にロックバンドでもいいかと思って窓口に行ってチケットを購入しようとしたら、満員で入れないとの事。 窓口にはおねえちゃんがいてそれを説明してくれたのだが、そのおねえちゃんが無茶苦茶可愛い。 目が大きくって、かわいいタイプ。 話が出来たことでも良しとするかと思っていた時に「フラメンコを見に来たの? それだったらここじゃなくて、隣の入口」と僕を隣に案内してくれた。 「フラメンコ?」と言ったその時おねえちゃんは近くに居た客と顔を見合わせてクスクス笑っていた。 どうやらフラメンコは若い連中には受けが悪いらしい。 日本の若い連中が日本舞踊をわざわざ金を払って見ないのと同様で、ここスペインでもそうらしい。 やっぱどこ行ってもこの感覚は一緒である。 また今度来たときにはロックバンドも見てみたい。

 早速入ると会場は大きいくせに客は舞台前の前2列位しかいない。 それも観光客ばかり。 何故観光客ってわかるかというと、カメラとガイドブックを持っていたから。 それにそうか、さっき路駐してたバスの客だ。 係の人に案内され席につき、1ドリンク付きだった様でコーラを注文。 舞台の上では、「るるぶ」に載っていた写真の様な光景が展開。 踊り子、歌い手、ギター奏者の構成。 踊り子は足を強く床にたたきつけながら手の平をくねくねさせて踊っている。 歌い手は手で音頭をとってリズムを刻み、ギター奏者はこれでもかって言うほど超高等な技巧のフラメンコ奏法。 僕がギターを弾くので、もうあのばかうまギターテクに釘付け。 踊り子そっちのけでギターばかり見ていた。 4フィンガーでジャラジャラやっているのは簡単だが、あの早いテンポで2フィンガーで間に時々細かいパッセージを入れている。 感動! 来た甲斐があった。 ここの Jardin Neptuno は結構スペインの中でも有名らしく、フラメンコの第一人者が踊っているとの事なので、ギター奏者もそれなりに有名なのだろう。 とにかくうまい。 舞台が終わって、ギター奏者が紹介された時にはスタンディングオベーションで迎えてあげた。

 舞台が終わった頃はもう真夜中12時を回っていた。 外に出たらロックバンドの客もはけている様で周りの人もまばら。 車に戻り一路ホテルへ。 今回は道に迷うことは無くすんなりとホテルに到着。 いやぁ、今日は疲れた。 風呂にゆっくり浸かった後、就寝。 Zzzzzz.......


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