週刊芸能ニュース
元ネタ=新聞・雑誌等の要約・抄訳です。
誤訳・誤報の可能性もあります。気がつかれた方はご指摘いただければ幸いです。

新聞略記号:[LD]=Lao Dong,[VH]=Van Hoa,[TT&VH]=The Thao & Van Hoa,[TT]=Tuoi Tre,[TTCN]=Tuoi Tre Chu Nhat,[TN]=Thanh Nien,[TTCT]=Thanh Nien Cuoi Tuan,[SGGP]=Sai Gon Giai Phong,[SGTB]=Sai Gon Giai Phong Thu Bay,[TPCN]=Tien Phong Chu Nhat,[NLD]=Nguoi Lao Dong,[SGTT]=Sai Gon Tiep Thi,[HNM]=Ha Noi Moi



2002/5/26-6/1
●Nhom Tik Tik Tak が自然解散?[5/30;TP]
 Nhom Tik Tik Tak のメンバーの1人である Thuy Van が先頃、ホーチミン市に引っ越した。残り3人のメンバー、Hong Thuy、Yen Dung、Vo Thu Ha もグループを維持する気はないという。約1年前にメンバー同士、グループ活動がこの先長く続かないことを確認し合ったというが、その時が来たという訳だろう。正式な解散宣言はないが、今後グループでの活動を見ることはないだろう。

<追記>●Nhom Tik Tik Tak は活動を継続[6/12;TP]をご覧ください。


2002/5/19-5/25
●Tu ca Ngau Nhien が再びメンバー交替[5/25;TN]
 約1年前に Chung Vu Thanh Uyen と Minh Anh の代わりに、Phuong Thuy と Ngo Thanh Van を新メンバーに加えたばかりの Tu ca Ngau Nhien だが、メンバーの1人がソロ活動することになり、再びメンバー交替が行われた。Ngo Thanh Van が抜けて Nguyet Anh が加入し、現在の Tu ca Ngau Nhien のメンバーは、Truong Ngoc Anh、Trinh Kim Chi、Phuong Thuy、Nguyet Anh となった。なお、Trinh Kim Chi はまもなく出産のため休業中。

●モデル Ngo Thanh Van が花屋を開店[5/21;TN]

Ngo Thanh Van の写真
Ngo Thanh Van
 モデルの Ngo Thanh Van はカフェバー「Nguoi Mau(モデル)」を経営していたが失敗し、今度はホーチミン市で花屋を開店した。店の名前は彼女のスエーデン時代の呼び名を取って「Veronica Florist」(住所:26 Le Anh Xuan、Q.1、TPHCM)。

<コメント>モデルの Ngo Thanh Van は、上のニュースで Tu ca Ngau Nhien から独立したのと同一人物です。歌を歌い、女優業もこなし、店を経営するというのが、一流モデルの流行りのようです。モデル Ha Kieu Anh もホーチミン市でカフェ「Diva Fashion」(住所:145 Hai Ba Trung、Q.1、TPHCM)を開店しました。
2002/5/12-5/18
●歌手 Ngoc Anh が芸能プロダクション会社を設立[5/15;VH]
 歌手の Ngoc Anh(旧 Tam ca 3A のメンバー)が広告と芸能プロダクションの2つの有限会社を設立した。同プロダクションの狙いは、将来性のある新人歌手を発見し育成することにある。今後主催するコンサートに新人歌手を出演させる予定。

●米映画『We were soldiers』に出演するベトナム人俳優の意識[5/13;SGGP]

Don Duong の写真
俳優 Don Duong
 ハリウッド映画『We were soldiers』は、1965年11月のアメリカ軍とベトナム正規軍の最初の衝突を巡って描かれている映画だ。この映画の原作者でアメリカ軍を当時指揮したムーア中佐と、UPI通信社のギャロウェイ記者によると、これはアメリカ軍400人がベトナム正規軍2000人を相手に初めての勝利を収めた戦闘だが、脚本化された後にはアメリカ軍はベトナム軍4000人を相手に勝ったことになっている。

 ベトナム戦争を描くハリウッド映画がアメリカ軍の勝利を描くことは何も不思議なことではない。ここで不思議なのは、ベトナム解放軍を歪曲して描いている映画にベトナム人俳優 Don Duong が誇らしげに出演していることだ。映画で Don Duong は解放軍の指揮官 Nguyen Huu An 役を演じているが、人物像は歪められ、解放軍も悪意で描かれている。問題は Don Duong がこの役を引き受ける時に、このことを意識していなかったのかということだ。ちなみにアフレコも Don Duong 自身が演じている。

 ハリウッド映画があの戦争をどう描こうとそれはあちらの話だが、ベトナム人が誇りとしていることを間違って描くことには心穏やかではいられない。各俳優やベトナム映画関係者は今回の件を教訓として意識すべきだろう。
2002/5/5-5/11
●歌手 My Le が自分のデザイナーブランドを立ち上げ[5/6;TP]
 女性歌手 My Le は新規のデザイナーブランドを立ち上げる。ブランド名はまだ決まっていないが、彼女の名前にちなんだものになる予定。My Le はかつて歌よりも服飾デザインにのめり込んだ経験があり、販売だけではなく自らデザインも手がける。彼女のほとんどの舞台衣装は自分でデザインしたものだという。

●サイゴンで飽きられるハノイの歌手(Nguyen Minh)[5/5;TP]
 ハノイの歌手が南北を往復する回数がこのところ減少している。ハノイよりもサイゴンで歌うことの方が多かった Thu Phuong−Huy MC もほとんど出番がなく、Thanh Lam も久々に先日のコンサート「Dong thoi gian」で姿を現わしただけ。サイゴンでまもなく行われる年に1度の最大級の歌謡ショー「Lan song xanh 2002」に出演予定のハノイの歌手は Minh Quan ただ1人だ。

 サイゴンの大規模な歌謡コンサートの最近の傾向は、スター歌手のソロリサイタルか「Duyen dang Viet Nam」や「Lan song xanh」のように毎年行われるものに留まっている。コンサートの開催者がハノイの歌手を呼ぶ際の費用が高くつくのを怖れていることもあるが、それよりもサイゴンの観客がハノイの歌手だからといって特別視しなくなったことがある。Hong Nhung、Bang Kieu、Tuan Hung はサイゴンに拠点を移しており、既にサイゴン人扱い。その他のハノイの歌手は、Thanh Lam、Tran Thu Ha、Thu Phuong−Huy MC、Minh Quan、Minh A/nh−Minh Anh などと顔ぶれは長いこと変わっていない。一方サイゴンでは若手歌手が毎日頭角を現わそうと競い合っている。

 サイゴンのあるコンサート制作者は、ハノイの歌手のこの停滞について、「彼らは新しさを加えようとせず昔のスタイルを維持している。若手歌手は観客が何を求めているかに敏感で、いかにして強い印象を与えようかと考えているのに対し、Thanh Lam、Thu Phuong、Thuy Dung らは以前と変わらない」と話す。変化に重きを置く Tran Thu Ha のような歌手もいるが、サイゴン人の趣味には合いそうもない。好奇心が勝って、アルバム『Nhat thuc』は全国で初回プレス5000枚を売りさばいたようだが、サイゴンでのあるコンサートで Tran Thu Ha が「Det tam gai」を歌い出すと観客がぞろぞろ帰り出したことがある。

 そんな中でサイゴンの観客に好かれているのは Minh A/nh−Minh Anh の姉妹。コンサート「Duyen dang Viet Nam」で見せた印象的な舞台はサイゴンの観客もよく憶えている。彼女たちは Tam ca 3A の影から抜け出し、サイゴンの観客の心をつかんだようだ。

 ハノイの歌手が南部で黄金期を誇った時期は過ぎ去り、今は逆にサイゴンの若手歌手がハノイの舞台で人気を呼んでいる。しかし誰もハノイに拠点を移そうとする歌手はいない。サイゴンは今も国内最大の音楽市場であり、全国から歌手が集まってくる。そのため、歌手には“マーケティング”が必要なのだが、ハノイの多くの歌手は古い歌をいつものスタイルで歌って帰るだけ。その典型は、Lam−Linh−Phuong の3人だ。これではサイゴンの観客は満足できない。観客あっての歌手であることを自覚すべきではないか?


2002/4/28-5/4
●俳優のギャラの実状[4/28;HNM]
 最近行われたシンポジウムで女優の Ha Xuyen はこう訴えた。「ベトナムテレビの10回連続ドラマに主役として出演し数カ月働いた。ギャラを渡されるとき、はじめていくらかと聞くと250万ドン(約160ドル)と言われ、『もし財政が厳しいならいらない』と答えて受け取らなかった。その後、私のことを怖れたのか300万ドン(約200ドル)上乗せして渡された」。有名な俳優にしてこうだから若手俳優の場合はさらに“値切られる”。

 糊付けされた封筒に入ったギャラを渡され、家に帰って開けてみてあまりの少なさに悔しい思いをする。そんな経験から一部の俳優は、その場で封筒を破って中身を確認する。しかしそうは言っても、芸術に携わる者としては体面もありなかなかそんな大胆な行動はとれないのが実状だ。こうした事態を避ける合理的な方法として、一部の俳優は役を振られたときに率直にギャラはいくらかと尋ねる。俳優のYは「はじめに聞いておくべきでしょう! それは自分の権利ですよ」と話す。が、約束していても後で覆される場合もある。

 値切って浮いたギャラの行方についてある俳優に尋ねると、「制作スタッフたちのポケットですよ。今のようなドラマ量産体制では、演出家は主役だけ決めて脇役はスタッフたちに任せている。彼らはギャラについて“物分りのいい”俳優を使いたがる」との答え。俳優たちがギャラのことで心配や不満を抱えながら演じることは、現在のテレビドラマの質をさらに低下させることにつながるものではなかろうか。


2002/4/21-4/27
●ベトナムポップスのMTV「VTV−私の好きな歌」が放送開始[4/25;SGTT]
 ベトナムテレビ(VTV)と東西プロモーション社は音楽番組「VTV−私の好きな歌」を共同制作し、第1回分が4月18日に放送された。この番組は全部で40曲のビデオクリップを、毎回5曲ずつ8週間にわたって放送し、視聴者の投票により「一番好きな歌」など4つの賞を決定する。それを通じてベトナムポップスをまずはアジアのMTVへ近づけようとすることが主催者側の狙いだ。

 40曲を歌う歌手の選出については残念な点がある。まず歌手リストに My Linh の名前が見当たらない。Quang Minh、Tan Minh、Kasim Hoang Vu、Tuan Hung の名前はあるのに、彼らより人気のある Viet Quang、Nguyen Vu、Nguyen Phi Hung は選からもれている。Hong Nhung、My Tam、Bang Kieu の3人は、1人で3曲も選ばれている一方、Lam Truong、Tran Thu Ha、Dam Vinh Hung などは彼らの人気曲とは言えない曲が選ばれており、視聴者投票で影響が出そうだ。

<追記>この記事には不正確なところがあります。5月23日の放送分で My Linh の♪Nghe mua のビデオクリップが放送されました。他の歌手についても、もしかすると間違いがあるかもしれません。(2002.5.25)

●歌手 Quang Dung が大衆食堂を開店[4/21;TN]
 亡くなった音楽家 Trinh Cong Son 氏の歌を抒情的に歌い上げることで定評のある男性歌手 Quang Dung は、市場の流行に流されずに歌い続けることを決意、サイドビジネスとしてホーチミン市の Hang Xanh 通り沿いに大衆食堂(コムビンザンの店)を開くことにした。


2002/4/14-4/20
●ベトナムでシングルCDの発売始まる[4/16;TN]
 4月中旬に若手女性歌手2人のシングルCD(My Tam の「Cay dan sinh vien」と Thanh Thao の「Tieng set−chang va nang」)が発売された。ベトナムではシングルCDが発売されるのはこれが初めて。

 ベトナムでは歌謡ブームが勢いを増してきた1990年代の半ば頃から、CDまたはカセットの形式によるアルバム発行が広まった。通常のアルバムには10曲収録されている。しかし1枚のCDに14〜16曲の歌を収録する海賊版が横行するようになって、CD制作者側では収録曲数を増やしたり、ジャケットデザインを工夫するなどして対抗している。制作費の増加を避けつつ曲数を増やすため、制作者側は以前のアルバムから一部の曲を取り込んだり、不出来な作品でも容認せざるを得なくなっている。消費者は一部の新曲を聞くために、こうした曲を抱き合わせで買わされていることになる。

 シングルCDでは、制作者側の負担は軽くなるが、歌手・編曲家の芸術面の努力が求められるだろう。人気曲で曲数が少なければ、繰り返し聞かれることになり、アラも目立ちやすくなるからだ。この2枚のシングルCDが、ベトナムの音楽市場の新しい需要に火をつけることになるだろうか?

<追記>実際にこのCDを買ってみて分かったのですが、この“シングルCD”は日本で言うところのシングルCDとは違います。大きさは通常のCDと同じで曲数が少ないだけです。ジャケットには「シングルアルバム」とあり、この方が誤解を招かないだろうと思いました。

●歌手 Tran Thu Ha のコンサート『日蝕』評(Thuan Thien)[4/15;LD]
 良かったかどうかはその人の好み次第。しかし新しさという点では誰もが、“曲・歌詞、舞台、聴衆の新しさ”を認めるだろう。ハノイで4月12、13日の夜行われたコンサート『日蝕』は多くの拍手と歓声に包まれた。客席には外国人の姿も多く見られた。聞くところによると、アメリカの雑誌「タイム」のカバーストーリーとして取り上げられる予定という。

 弱冠20歳の少数民族タイー族の女性詩人 Vi Thuy Linh の生への渇望と熱い愛情の言葉を、詩人 Nguyen Thuy Kha は“溢れ出る詩”と呼び、Ngoc Dai の曲については“鋸の歯”と評する。しかし舞台の方は大成功だった。これまで Tran Thu Ha の声を好きではなかった人さえ感服させられたに違いない。おそらく作曲家の Ngoc Dai は、かつて Trinh Cong Son 氏が歌手の Khanh Ly に出会ったように、ぴったりの人物に巡り会ったと言えるだろう。♪Det tam gai、♪Tiec nuoi、♪Nhat thuc の3曲は、歌、編曲、演出のすべての面で成功し、TTH はパフォーマーとして体全体で表現していた。

 もちろん多少の欠点は避けられなかったが、『日蝕』は音楽コンサートして、総合的効果の面で成功したと言えるだろう。TTH 自身と彼女の兄の Tran Vu Hoang による構成と、Do Bao の編曲も成功に大きく貢献した。


2002/4/7-4/13
●映画の予算、いくらなら充分なのか?[4/11;TN]
 ベトナムの戦争映画はなぜ面白くないのか? との問いに、映画『Giai phong Sai Gon(サイゴン解放)』を撮影中の Long Van 監督は「国が用意した予算は125億ドン(約80万ドル)。大金と思われるかもしれないが、大した額ではない」と答えた。確かに1本に数千万ドルを費やす外国の戦争映画と比べたら「大した額ではない」。しかし、これは1本のベトナム映画に国が拠出する予算としてはこれまでで最大の額だ。また、1本の映画の平均予算は10億ドン前後で、1年に全国で50億ドンしか使えないことを考慮すれば、125億ドンという金額の大きさが分かるというものだ。

 この映画を巡っては各新聞紙上や脚本承認評議会で論争が巻き起こった。結局撮影は、監督の見込み予算の範囲内で許可されたが、今になって監督は予算が少ないと述べている。これを聞くと、映画作家たちは観客に“心の準備”をすることを期待しているのだろうと思わざるを得ない。すなわち、もし映画が“失敗”したらそれは予算が足りなかったから、というわけだ。予算が足りないという声をあげたのはなにもこの映画が初めてではない。Bui Dinh Hac 監督の映画『Dien Bien Phu tren khong(空のディエン・ビエン・フー)』は50億ドンの予算で数年にわたって撮影が行われているが、これまた予算不足でいつ完成するかの見通しは立っていないという。

 予算不足というなら、それはベトナムだけではなく、先進国の映画業界でもいつでも監督の意図どおり存分にお金を使えるというわけではない。現在のベトナムの状況の中で、映画作りは高望みの傾向が見える。映画局のNguyen Thi Hong Ngat 副局長は「戦争映画は普通の映画より多くの経費がかかるが、使える予算には限りがある。制作者はなんとかやりくりして、映画の“精神”を表現してほしい」と話す。しかし、いつまでも予算不足を理由に“失敗”を言い訳していたら、映画の“精神”など表現できるものだろうか?


2002/3/31-4/6
●映画『Chuyen tinh ke trong dem mua』、まもなくクランクイン[4/2;TP]
 Quang Hai 監督、Nguyen Huy Thiep 脚本(原作は Thiep 氏の同名の短編)の映画『Chuyen tinh ke trong dem mua』が5月19日に正式に撮影を開始する。現時点では、Hai 監督の恋人で、映画『静かなるアメリカ人』で Phuong 役を演じた女優 Do Hai Yen が主役を演じる以外、他の出演者は明らかにされていない。撮影はバックハ、サパ、ハノイ、フエ、サイゴンの各地で行われる。Quang Hai 氏は映画『静かなるアメリカ人』に俳優として出演し注目されたが、今回は監督を務める。

<追記>4月21日付け「Tien Phong」紙によると、この映画の出資者約10人が次々と出資打ち切りを決め、映画の撮影準備は事実上ストップしている。


2002/3/24-3/30
●2001年ベトナム映画協会賞受賞作[3/30;TN]
§映画部門
・A賞:該当作なし。
・B賞:『Thung lung hoang vang(監督:Pham Nhue Giang)
§ビデオドラマ部門
・A賞:『Gau co trang』、『Thoi gian con lai』
・B賞『Huong de』、『Ma so than ky』、『Chuyen o cong ty thu vao』、『Con cua song Dinh』

●作曲家 Ngoc Dai の作品集アルバム『Nhat thuc 1』、ようやく発売へ[3/29;LD]
 新聞紙上などで論争を巻き起こし“注目”を浴びた、作曲家 Ngoc Dai の作品集アルバム『Nhat thuc(日蝕) 1』がようやく発売になる。作曲家の Dai 氏と全曲を歌っている歌手 Tran Thu Ha へのインタビュー。

Q:CDは9曲から7曲に曲数を減らされることになり、コンサート(4月12、13日)の許可をとるのも大変だったようですが、今のお気持ちは?
Ngoc Dai(ND):「Mo(夢)」と「Tu tinh(告白)」の2曲を削除せざるを得なかったことは実に残念だ。私は今も、今後出すことになるアルバムの中でこの2曲の復活のチャンスがあることを期待している。
Tran Thu Ha(TTH):まだ何もしてないうちに騒ぎになってしまって。このアルバムとコンサートで作曲家 Ngoc Dai の音楽の本質がはっきり伝わることを願っています。

Q:コンサート「Nhat thuc」の新しい点は?
TTH:舞台に出る人は歌手も演奏者もダンサーも皆、同じ形で同じ色の服を着ます。男女の別もありません。ダンサーたちは、日本の能のように表情を殺して、誰もが同じく見えるように化粧を施します。この舞台は、現代舞踊や演劇などを組み合わせた総合芸術と呼べるもので、彼の曲に適していると思います。

Q:音楽、歌詞とも難解なようですが、コンサートが“重く”なりませんか?
ND:そのためにアルバム「Nhat thuc」以外の曲も入れました。
TTH:彼の曲はもし一般的なコンサートの中で歌ったら、独立したコンサートほどにはうまく溶け込めないかもしれません。

Q:Tran Tien の曲と Ngoc Dai の曲のどちらが自分に合っていると感じてますか?
TTH:おじの Tran Tien とは今後2つのアルバムを出す予定があります。1つは「Ra ngo cuoi the ky」、もう1つは「Tu hoa 2」です。でも音楽面でいうと、Ngoc Dai の音楽の方が自分の持っている様々な面を発揮できるように思います。Tran Tien の曲はやはり男性の視点なんです。Ngoc Dai の曲は、若い女性詩人が歌詞を書いています。

Q:アルバム「Nhat thuc 」の2や3も出るのですか?
ND:現在、詩人の Vi Thuy Linh から64編の詞をいただいている。その一部を年末発売予定のアルバム「Nhat thuc 2」の中で発表するつもりだ。


2002/3/17-3/23
●歌手 My Tam が “Shop My Ta”を開店[3/20;VH]
 歌手の My Tam はこのほど、ホーチミン市の Truong Dinh 通りに衣服や記念品を販売するファッションブティック“Shop My Ta”を開店した。My Tam は、この店を商売だけではなくファンとの交流の場にしたいと話している。

<コメント>“Shop My Tam”の間違いではないか? という気もしないではないですが、一応新聞原稿にはこのように記載されていましたのでそのままにしておきます。

●若手歌手にまつわる話あれこれ(Nguyen Minh)[3/18〜19;TP]
3.彼らは何をうたっているのか?
 若手歌手たちに一般的に言えるのは、社会認識が浅く歌う曲を選ぶ際の影響をあまり考慮していないことだ。最近ベトナムオリジナルの曲が不足しているとみるや、彼らは外国の曲を歌い出した。ホーチミン市の一部の若手歌手たち(Anh Duy、Nguyen Vu、Tuan Huy など)が出すアルバムは、7、8曲が外国曲で占められている。彼らは歌うだけでは満足せずベトナム語の歌詞を自ら書いているが、内容は単純なものに過ぎない。

 現在流行っているのはダンスミュージックだ。これさえ歌っていれば、カフェやディスコをはじめ、至るところで自分の声がこだますることになる。Thanh Thao、Tuan Hung、Tik Tik Tak、Techno などがこの流行にうまく乗った。Tuan Hung はグループ Qua dua hau が解散した後、サイゴンで再起を目指した。歌唱力は中程度だが、ダンスのうまさが受けて、今では観客を“刺激”したいときには欠かせない存在となっている。

 より長期的な流行を考えて、民謡(Dan ca)路線をとっている Van Khanh、Thien Baoなどの歌手もいる。Cam Ly は中国歌謡とベトナムポップスを歌ってきたが、南部民謡風の現代民謡も歌い出したらさらに人気が高まった。

 10年ほど前から、Anh Tuyet は音楽家 Van Cao の曲や戦前音楽(nhac tien chien)を歌って人気が出た。現在、一部の若手歌手がこの路線をたどろうとしている。彼らは一時期有名になった歌やあまり人に知られていない歌を歌う。もし彼らが厳しい職業意識を持って歌うのであれば、これらの歌の価値は決して失われないだろう。

4.下積み歌手を抜け出すチャンスはあるか
 ダナンに行った機会に、当地でもっとも有望な若手男性歌手に会った。Tien Dung、23歳、ハノイ工科大学石油科学学科卒業。1996年にダナン市歌声コンテストで My Tam と共に金賞受賞、1997年に Binh Dinh テレビ歌声コンテストで優勝(このときの2位は男性歌手 Quang Dung)、1999年には全国学生歌声コンテストで Trong Tan、Hien Thucらと共にトップ10入りを果たした。他の人たちが次々名を成していく中で、Tien Dung はある会社で働きながら、ダナンのディスコや小さな歌謡ショーで歌っているだけだ。

 下積み歌手が自分の可能性を発揮するチャンスはあるのか? 今は歌がうまくても有名になれるとは限らない。頂点に達するには多くの障害物を乗り越えなければならない。幸運が必要なことは誰もが指摘するところだ。幸運のおかげで Nguyen Phi Hung は並のダンサーから人気ある歌手になることができた。Thanh Thao はタイ歌謡のカバー曲「Oi tinh yeu」に出会えたおかげで、Minh Quan はサイゴンの観客に受け入れられたおかげで成功を手にすることができた…。ただし、幸運をつかむのも網なしで魚を獲ろうとするようなもので容易ではない。

 歌に夢中になるだけでは十分ではない。音楽市場の先進国のようにプロになるためのプロセス(たとえばデモCDを作ってCD会社や作曲家に送るといったこと)が必要だが、ベトナムではまだそれほど普及しているとはいえない。これまでに多くのデモCDを受け取ったことがある作詞・作曲家の1人、Quoc Bao は「彼らはただ単に有名になりたいとか、お金を稼ぎたいと思って歌手になろうとする。自分の実力を直視せず、歌手業の厳しさを想像しようともしない」と手厳しい。Tien Dung をはじめとする多くの下積み歌手は自分で道を切り開くことができるのか、それともただ座って幸運が訪れるのを待つしかないのだろうか?


2002/3/10-3/16
●歌手 Minh Quan もサイゴンに拠点を移す[3/14;TP]
 ハノイ出身の歌手 Minh Quan が歌手活動の拠点をサイゴンに移すことを決めた。出身グループ「Dua hau」の元メンバーの Bang Kieu と Tuan Hung も既にサイゴンに拠点を移している。現在、Minh Quan は Tuoi Tre 劇団の劇団員であると同時にMFC社(Music fans co.)の専属歌手でもある。

●歌手 Bang Kieu、新アルバムとハノイでのカフェ出店を準備中[3/13;VH]
 歌手の Bang Kieu は現在、新アルバムを制作中。今回のアルバムには自作曲のほか、Duong Thu、Quoc Trung、Huy Tuan の3人の作詞・作曲家の曲も収録される。また、既にホーチミン市に2軒の店を持っている Bang Kieu は、ハノイにもカフェを開く意向で、現在出店場所を検討中だ。

●若手歌手にまつわる話あれこれ(Nguyen Minh)[3/12〜13;TP]
1.“道に迷う”若手歌手たち
 今から1年ほど前、Thanh Thao や My Tam がまだ現在のような人気が出る前に、Hien Thuc はベトナム・ティーンポップのNo.1になるかと思われた時期があった。初めてのソロアルバムは売れ行きがよく、Hong Nhung の再来かと期待する人も多かった。しかしそれ以後、彼女の姿は輝き出すどころか逆に薄れてしまっている。彼女は、Dong Do 音楽センターが彼女の意に反して出した2枚のアルバムのせいだと話す。この2枚のCDは彼女がまだ無名の頃に同センターと契約して録音した100曲の中から選んで作ったもので、確かに聞くに耐える代物ではない。しかし主な原因は、彼女と彼女のマネージャー兼恋人の Tuan Thang(バンドSaigon Boys のドラマー)が“道に迷った”ためという方が正確だろう。Tuan Thang は歌が下手ではないが専業歌手としてやっていく力はないにもかかわらず、Hien Thuc とのデュエットを好んでいる。多くの若手歌手を育てているMFC社(Music fans co.)が、Hien Thuc をスターの座に押し上げようと努力しているところへ Tuan Thang がストップをかけた。彼は自分の恋人がMFC所属の男性歌手とデュエットするのを見過ごせなかったのだ。その結果2人ともチャンスを失った。

 My Tam は以前Vafaco社と専属契約を結んでいたが、そこを飛び出してから活躍しだした。彼女の歌声を愛する多くの人が現在心配しているのは、彼女が自分の位置を見失っているように見えることだ。栄光の道を駆け上った彼女には既に振舞い方や服装、頭髪などに行き過ぎの面が見受けられる。人は自分でしていることは人にどう見られているか気が付かないものだ。My Tam に今必要なのはスターとしてのあり方を指し示すマネージャーの存在だろう。

 才能ある歌手 Tran Thu Ha にとっても、行く道を示すマネージャーが必要なようだ。彼女はこれまでに何度も歌のスタイルを変えてきた。売れ筋の曲から作詞・作曲家 Trinh Cong Son や Quoc Bao の曲を歌い、今は Ngoc Dai の曲を好んで歌っている。

 Hien Thuc と同じ頃売れ出した若手歌手の Hong Ngoc も自分の道を見出せずにいる。自分のアルトの歌声を生かせる曲を選ばずに、出会った曲を片っ端から歌った結果、印象に残る曲を一つも残せずにいる。

 この他にも、Thu Minh、Thanh Thuy、Tan Minh、Luu Thien Huong、Hoang Thanh などの有望な歌手がいるが、どうやって頭角を現わしたらいいのか分からずにいる。

2.スターになるために
 若手歌手の間ではブロマイド写真やCDのプレゼント、ファンとの交流は当たり前のことになっている。Dam Vinh Hung はホーチミン市工科大学で行われた交流コンサートで1万9千人のファンを前に、2万枚のブロマイドをプレゼントすると宣言し、翌日約束通り写真を届けた。Dam Vinh Hung はまた、ファーストアルバムが出るとサイゴンじゅうのカフェに無料でCDを配った。こうして彼は先行するスター歌手を脅かす存在になった。

 Thanh Thao はタイ歌謡曲の流行にうまく乗り、カバー曲「Oi tinh yeu」でファンの熱烈な支持を一気に獲得した。ハノイ国家大学で行った無料ライヴコンサートは彼女の歌手生活の中で大きな節目となるものだ。

 コンサートプロデューサーの多くは、個人の歌手によるソロコンサートは“両刃の剣”、すなわち、歌手をスターに押し上げる力ともなれば、歌手生命の危機をもたらすほどの大きな影響力を持つと指摘する。。Hong Hanh はサイゴンで人気のある歌手の一人だったが、初のソロコンサート「Tinh ca cho em」以後、坂道を転げ落ちるように衰退してしまった。逆に、Lam Truong の場合は2000年のソロコンサート「Loi trai tim muon noi」以後に、人気歌手No.1になった。

 Lam Chi Khanh はまだ無名のうちに自ら資金を投じてソロコンサートを行った。褒貶はさまざまだが、コンサート当日は観客がつめかけたし、コンサートを収録したVCDの売れ行きも良い。Lam Chi Khanh は“アルバムを出し、コンサートをし、ビデオなどで宣伝する”という若手歌手が進むべき王道を行っていると言えるだろう。

 一方、大金を投じて売り出す方法もある。最初の成功例は Dan Truong、その後 Cam Ly、Nguyen Phi Hung …と続いた。それぞれの所属会社は、Cam Ly のプロモーションには約14万ドル、Nguyen Phi Hung には10万ドルかけたという。多くの若手歌手には望むべくもない金額だ。しかし彼らは自ら資金を投じてソロアルバムの制作に乗り出している。Thanh Thao は5千ドル、Viet Quang は4千ドル、Quang Dung は7千ドルといった具合だ。新人歌手の Quang Dung の場合、売れている曲が入っている訳でもないのに初ソロアルバム「Bien nghin thu o lai」は7500枚を売り上げた。これは新人歌手にしては驚くべき数字だ。歌手 Tran Thu Ha は「Quang Dung のように独自の道を行く歌手は、どの年齢層にも適しているという強みがある。それに新人だから海賊盤の被害も少ない」と分析する。こうしてみると、成功のためには独自性と多額の投資が必要だということになる。もっとも問題はそのお金の使い方ではあるのだが。


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